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「琴古流尺八 師範 西村鈴鼎」
こんな肩書きと雅号を平成8年に頂いた。師匠は「二代 青木鈴慕」。所属「鈴慕会」。そして師匠は叔父でもある。
小学4年で故「青木鈴督(青木家長男)」より手解きを受ける。中学3年まで続けるが受験の為中断。暗黒時代を過ぎ大学二年より直門で再開。不肖の弟子ながら破門すれすれでなんとか現在に至る。
さて、「琴古流」。少々ウンチクを語りましょうか。
禅宗の一派としての普化宗「虚無僧寺」の宗教音楽をまとめた初代黒沢琴古を始祖とする尺八の流派。
そして時代劇でお馴染みの「虚無僧」とは!
武士の平服(紋付、袴)に五条袈裟、髷あたまに天蓋(編み笠)といった格好で尺八を吹きながら諸国を托鉢行脚する僧侶のこと。時の幕府の「秘密諜報部隊」みたいなものです。
んで、虚無僧の特権て凄かったんですよ、これが。
まず、
往来鑑札(自由通行手形)の授与
そして、
虚無僧寺への守護不入
さらに、
不法者召捕り権
これって現代に置き換えると
「世界中にビサなし入国審査なしで行けて、米国大使館ばりの治外法権持ってて、殺し(?)の特権も与えられてる」ってことで
007とか銭形警部
と同じようなものですか。
しかし、こんなかっこいい虚無僧も日々の修行生活は厳しかった
武士であることが大前提で入門料は二両二分。(高っ!)
毎日米二合と銭五十文を納める。
結構厳しいですね。
もともとは江戸初期に放出された莫大な浪人による社会不安から産まれた虚無僧。「物乞い」なる乞食の所業を「吹禅托鉢」なる美名によって正当化し、浪人統制をはかるのが目的だったとか。
うまいこと考えたもんです。自分に牙を剥きそうな野良犬を「飼い犬」にしちゃうんですから!
結局、「法は破る為に有る」みたいなもんで最後は収集つかなくなり明治4年に普化宗は廃止、虚無僧寺は衰微してしまったそうな、、、。
で、虚無僧が吹禅修業で吹いていた尺八本来の曲「本曲」を中心に「三曲合奏」にもその流れを持ち込んだ流派が「琴古流」なわけです。
目指せ! 「虚無僧」
(注意 画像は童子ではありません!) |
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